元 ハイスペック()ぼっちの回顧録

かつてハイスペック()ぼっちを自称していた文系大学生のブログです。「常に観測者でありたい」

『聲の形』 地上波初放送です!

明日(厳密には今日)8月25日、21時からEテレで映画聲の形が放送されるとの情報を入手しました。地上波初放送です!

せっかく受信料を払っていますから、時間がある人は是非観てみてください!

観て後悔することはないと思う。

 

 ということで、今回は『聲の形』の話です。

Eテレで観る前にこの記事を読んでおくと、少しは映画鑑賞が深いものになるかもしれないよ!

ストーリーにはあまり触れないし、 ネタバレ云々って作品でもないと思うので、安心してお読みください。

 

さて、『聲の形』の漫画は、元同志Aに激推しされたこともあって単行本を揃えました。

彼から紹介されたのか、自分で見つけたのかは覚えていませんが、そこのところは大して重要じゃありませんね。

因みに、作者の大今良時を知ったのは、『マルドゥック・スクランブル』のコミカライズだったと思います。当時は、男性だと思ってました。この名前を見て、女性だと分かる人がいたら凄いと思う。

 

漫画を読み終わった直後にも感想を書いたのですが、当時の記録はどこかにいってしまいました。今から全巻読み返す気力も無いので、この記事は映画メインでいきます。

 

映画化された時は、元同志Aと2人で観にいきましたね。当時のことなんて全然覚えてないけど、なんか懐かしい。

この記事で書くのは、当時映画館で観ながら気付いたあることについてです。我ながら、この発見は見事だったと思う。

 

 

 

それでは早速本題に、と言いたいところですが、その前に西宮硝子について少し書きましょう。

 

硝子ちゃん、本当に可愛いですよね。

彼女が天使であるということは人類普遍の原理であって疑いようのないことなのですが、彼女について未だに分からないことがあります。

 それは、彼女のあの性格の根底にあるものは何なのかということです。

言い換えるならば、すぐに謝るような態度は素でやっているのか、それとも(聴覚障害を持つ者としての)処世術なのか、ということです。

 

当時、元同志Aは純粋さ故だと言っていました。それも、「障害が成したもの」ではなく、「彼女の本質」なのだと。そこに理由を探したって、見つかるようなものではない、というわけです。

彼曰く、「寧ろ普通は障害があったら捻くれるし、世界に対して絶望する」そうで。

障害があることで親からたくさんの愛情を受けて、優しくなるという可能性もあるとは思いますが、世の中そんなに美しくはないわけですね。

そして、「硝子」という名前は「純粋さと儚さの象徴」なのだと言っています。

 

 

対する僕の意見が、こちらです。

あれは純粋さなのかなあ。元々の性格は確かにあるんだろうけど、それ以上に後天的な要素が強い気がする。寧ろ、諦念(諦観って言っていいのかは分からない)なんじゃないだろうか。先天的な障害を抱えている人間として、世界に絶望する時期はとっくに過ぎていたんだと思う。完全にゼロとは言わないけど、そうじゃないと生きていけないもん。

ガラスだから、周りを傷付けるものという意味もあっただろうね。同時に

それ自体の脆さ(儚さ)も。なかなか良い譬え。

 

(以下、引用は殆どLukrezのメールから)

ここに書いた通り、彼女の根底にあるものが純粋さだとして、それだけで生きていけるとは到底思えないんですよ。

とはいえ、当時の僕も揺れています。

作中では描かれてなかったけど*1、硝子の父親がいなくなった原因が硝子にある可能性は十分にあると思うんだよ。当然事故とかで死んでる可能性もあるけど。その結果?、祖母、母親、結弦がそれぞれのやり方で硝子を支えていくわけじゃん。

と、ここまで書いたところで、俺が間違ってる説が浮上してきた……この子結構ぬくぬくと生きてね!?小6まで何してたのか気になるな。

放課後の将也との殴り合いでの、「将也も頑張って」(だっけ?)も、諦めから出てくる言葉じゃないね……

でも、小学生の彼女が自分の置かれている状況を一切感知していなかったとは思えない。本当に理解していなかったのか、周りの善意を信じていたのか。

 

因みに、元同志Aから「果たして諦めの先に優しさがあるのか」と問われたのですが、これはあると思います。

当時もそうでしたし、今も答えは変わりません。

「諦めの先には、穏やかな悟りにも似た境地があるのだよ。それは、ある者にとっては優しさ。」

ということです。

詳しい話は、ぼっち絡みのテーマですると思うのでまた後日。

 

純粋さの話に戻りますが、まず何か1つのものだけに答えを見出さそうというのが無茶なんでしょうね。人間はそんな単純じゃない。

 

ただ、純粋さも答えの1つなんだとは思います。

僕が漫画を読み終わった後の感想として「(登場人物たちが)愛しかった」という主旨のことを言っていたようなのですが、それも「純粋さ」があったからこその感想だと思います。

(「愛しかった」というのは)実際に上から目線。俺にも、純粋な時代はあったはずだから。かつて自分が通った道として、懐かしむような気持ちもあるし。

アニメとか観てこういう気持ちになると、年取ったんだなあって思います。いつの間にか、登場するキャラが殆ど年下ですからね。

 

 

さらに話は逸れますが、付近で興味深いことを書いていたので、ついでに引用します。

あの観覧車での告白は、西宮硝子が初めて将也以外に本心をぶつけるシーンなんだよね。それを突き放してビンタかます上野もすごいが。

上野の糾弾は非常に的を得たものだったし、それを西宮硝子が、悪気がなかったとは言え、やった(やらなかった)っていうのは興味深い。障害者と健常者の絶対的な距離ってのがそこには存在する。

 

きちんと覚えていないのですが、この「観覧車の告白」は多分「私は私が嫌いです」っていうやつです。

元同志Aは、「この自己嫌悪は、単なる『やり場の無い自己嫌悪』ではなくて、『自己の変革を望むという背景を持っての自己嫌悪』」なのだと分析しています。

前者は「『もう私なんて〜』みたいなウザいやつ」で、後者は「現状への不満足と今後の発展を望むもの」ということです。

硝子の台詞は、変革(将也への告白)を試みた結果での発言なんですよね。

変わりたい、変われない、でも変わりたい。そんな思いがこもっている気がします。

 

「やった(やらなかった)」ってのは自分でも何のことだか分からないので飛ばすとして、大切なのはその次です。

「障害者と健常者の絶対的な距離ってのがそこには存在する」

これは、漫画を読んでいた時に感じたことです。前回に続き爆弾投下してますね。

それでも敢えて書きますけれど、これは差別云々ではなくて、事実として厳然と存在するものだと思うのですよ。そもそも、差があるから、障害者と健常者という区別がなされるわけですし。

それをまるで何もないかのように振る舞うのは、欺瞞以外の何ものでもありません。これを認めないうちは、真の相互理解だの共生だのは無理だと思いますよ。

微妙に文脈は違いますが、元同志Aに言わせれば、

俺ら(と括られるのは遺憾かもしれないが)みたいに穢れきっていたら、多分適当な妥協点見つけて、表面上は(←これ大事)誰も傷付かないところに落とし込むと思う

でもそれは何も変わってないことに等しいし、寧ろ悪化させてるとも言える

 

(元同志Aのメール)

 ということです。

 

ただ、僕が言っている「絶対的な距離」というのは、ただの能力差とかそういう話ではなかったと思います。

原因はそうしたところにあるとしても、「(互いが)いくら努力したところで絶対に越えられない(交われない)部分があるのではないか」ということです。

これは、何も障害者に限った話ではありません。極端なことを言えば、全ての人間関係に当てはまる。この作品では、それが障害者と健常者という組み合わせだったということです。

硝子が本気で向き合った結果、上野は彼女を叩く羽目になったわけで、恐らく硝子は叩かれた理由を理解できていないんですよ。

そういうものがあるのではないか、と言いたいのです。因みにこの件に関しては、障害の有無以上に2人の性格の差が大きいとは思います。

ただ勘違いしてほしくないのは、「絶対に越えられない部分がある」からと言って、「それを越えようとする努力をしなくていい」ということには直結しないということです。寧ろ、越えようとする努力はし続けなければならないと思います。

「絶対」と言いながら矛盾していますが、そうすることで可能性が生まれるんです。逆に言えば、そうしなければ永遠に越えられないままなんですよ。

 

 

 

かなり話が逸れてしまいましたが、それではお待ちかね(?)の本題に入りましょう!

 

映画館で僕が気付いたことというのは、"a shape of light""the shape of voice"です!

 

後者はお察しの通り英題なのですが、前者については既に映画を観ている人でも「何の話だよ?」って人はいそうですね。

説明する前に、当時の僕のメールを2通貼ります。

 

冒頭で「a shape of light」って出た後、「聲の形」って題が表示されたじゃん。本編終わりにも確か出てたけど、その話は置いといて。

それで、英題も表示されてたんだが、これが「the shape of voice」なんだよね。俺は終わりに気づいてスタッフロールで確認したんだが、これ(aとthe)は狙ってやってると思う。

因みに、海外の翻訳本の題名は「a silent voice」だった。映画の方が内容に合ってると思うけど。

 

theとa、voiceとlightの対比*2。書き忘れてたが、「a shape of light」はサントラの名前。

多分、最初にあったのは英題のthe shape〜の方だったと思う。ここでa shapeとかshapesを使うのは間違ってないけど不適切な気がする。もっと言えばvoicesにすることもできたわけだし、それを考える場合には「聲の形」という題そのものの意味を考える必要が出てくる。ただこれについては、作者がどこかで言ってそうだな。

それで、(後から付いただろう)サントラの題をa shapeにしたのは、英題を意識してのことだと思う。

theは交換不可能なものだけど、aは交換可能である意味蓋然的(必ずしもそれである必要はない)。a shape of lightは、some shape of lightであって数ある中の1つなんだよ。答えは1つじゃない、的な。

どんなに暗い場面でも、京アニクオリティも相俟って背景(風景)は美しく描かれる。ここには、「君たちが気づけていないだけで、世界はこんなにも美しいんだよ」っていう作り手(大人)からのメッセージが込められてるような気がする。まあ背景を綺麗に描くのは当たり前のことなんだけどさ。

 

「蓋然的」の意味が違う気がしますが、細かいことは気にしない。

メールに書いてある通り、"a shape of light"はサントラのタイトルです(これは当時観終わってから調べました)。

僕の記憶が正しければ、映画だと冒頭でこれが出てくるんですよ。それも、『聲の形』というタイトルより前です。

是非、ご自身の目で確かめてみてください。これで違ってたら恥ずかしいな……

 

上述の通り英語版の漫画のタイトルは"A silent voice"ですが、これはあまりに直球だし、僕は"the shape of voice"の方が好きですね。

でも考えてみたら、直訳なのは"the shape of voice"の方か。

 

例によってメールだけで言いたいことの8割近く書いてあるのですが、注目してほしいのは"a""the"の違いなのです!

 

まず、タイトルが"the"であることについては納得してもらえると思います。「伝えたいあの思いの形」ですから、"the"で特定するのは極めて自然なことでしょう。こちらが"a"だと、かなり軽い感じになってしまいます。

 

それでは、サントラの"a"はどういう意味でしょうか。

考え方は色々あると思います。

僕は、"light"を「人生を照らす光」とした上で、「数ある中の1つ」としての"a"なのだ、と捉えました。

例えば、「暗闇の中にいると思い込んでいる将也にも、実は君を照らしうる光はたくさんあるんだよ」ということだと思うんですよ。

袋小路にいると思っていても、実は出口につながる道はたくさんあって、その中の1つを見つけ出せればいいのだと、そういうことです。

だから、「独りで心を閉ざしていないで、世界を見てみなよ」と。

そうしたら、「世界はこんなにも美しいんだよ」と。

これは製作者から将也たち登場人物へのメッセージであり、とりもなおさず観客へのメッセージでもあるわけです。

 

これはかなり将也に寄せた解釈ではありますが、他の人にもあてはめられると思います。

作品に登場する主要(子供)キャラは、主に硝子を中心とする問題に本当に真剣に向き合っていました。彼らなりに真剣に生きてるんですよ。

勿論、それは悪いことではありません。ただ、少しは肩の荷を下ろして気楽に生きてみたら?と言っているような気がします。そうしたら、違った世界が見えてくる、と。

まさしく、大人から子供に向けた、母から子に向けた、温かい眼差しが作品を貫いているような感じがしました。

 

作中良いシーンはいくつもあったのですが、違う意味で印象的だったシーンがあります。

高校場面始まって最初の方の、昼休みに飛行船か何かを見て生徒たちが窓際に集まるシーンです。将也は耳を塞いで俯いていますが、近くに来た生徒が、一応合図(机をコンコンと叩いてた?)を出してあげていたんですね。勿論、将也はそれに気付かないわけですが。

これは、原作には無かったシーンだと思います。それを敢えて追加しているんです。

将也の状況を描くという意味もあったと思いますが、それ以上の何かもあった気がします。

 

 

 

以上、『聲の形』についての話でした。

近々、ハイスペックぼっちをテーマにした一群の記事を書き始める予定です。元々それが、このブログの1番の目的だったので。

2個目の記事で書くとしていた記事のいくつかについても、そこで触れることになると思います。

それではまた。

*1:僕が覚えていなかっただけで、原作には描かれていたみたいです

*2:「狙ってやってる」とはどういうことかという問いに対して