元 ハイスペック()ぼっちの回顧録

かつてハイスペック()ぼっちを自称していた文系大学生のブログです。「常に観測者でありたい」

道徳教育をするぐらいなら刑法教育をしよう!

どうも。11月中旬に書くと言った記事を、未だに書き終えておりません……

 

しばらく、本題とは関係ない話。

昔から弓を自作したいと思っていたのですが、問題はリム(しなる部分)です。手軽に入手できて強度と弾性もある材料って、なかなかないんですよね(多分)。あったとしても、加工するの難しそうだし。

そこで、しなる素材の代わりに使えるのではないかと考えたのが、バネです!

調べたら、やっぱりありました。ただ、どれも普通に手で引くだけで、見た目的にもロマンがない。魚捕まえてる人とかいたし、威力はそれなりにあるんでしょうけれど。

コンパウンドボウみたいに滑車を付けたら、威力も強くなるし格好良くなりそうです。ただ、市販のコンパウンドボウの滑車って普通の滑車じゃないし、パーツだけじゃ売ってないし、加工する技術もない……仕方ないので、普通の輪軸を使うことにします。

それだけだと芸がないので、色々考えた末に思いつきました!

動滑車と輪軸の組み合わせで、弓を引くのに必要な力を80%カット*1です!

この技術は、現在特許申請中です(嘘です)。弓で動滑車を使っているものは、流石にまだないと思う。構造が複雑になればその分重くなるし。そもそも本当に機能するのかも不明。それに、これで弓と呼べるのだろうか……

因みに、自転車のフリーホイールの構造を応用して力を溜めることも考えています。弦を引くたびに、その力が保持されます。コンパウンドボウみたいに、保持力が少なくなるというレベルではありません。保持力ゼロです!これだけだと「クロスボウと同じじゃないか!」と言われかねませんが、こちらは段階的に引くことも可能です!つまり、引いては休んで、引いては休んでを繰り返すことができる。これは、軍事技術に革命が起きますよ。(←数世紀遅い)

そもそも、弓にこの技術って要るんですかね……

どちらの技術もまだ落書きレベルなので、今後もっと洗練させていかなければ。

 

 

余談はこれくらいで。更新も全然していなかったし、今回は時間稼ぎのための適当な記事。

以下の記述は、中途半端に刑法を学んだ人間の戯言にすぎず、なんら法的な正しさが担保されたものではありません。この文章に関連して何か損害を受けたとしても、筆者は責任を負いかねます。

 

 

今年のことだったと思いますが、道徳の教科化が話題になりました。
「道徳で点数を付けるのはどうなのか」とか「愛国心教育だ」とかそういう話は置いておいて、僕が気になるのは、そもそも学校で道徳を教えることに意味があるのか、ということです。道徳教育に限らず、主権者教育とか要らんと思う。

 

さて、話は飛びますが、憲法を除き、一般的に高校まででまともに法律について学ぶことはありません。

憲法教育の価値についてはさておき(立場上流石に無意味だとは言えない。僕自身学んだこともあるし)、学校で教えるべき法律があるとすれば、それは民法でも商法でもなく、刑法だと思うのです。要するに、道徳を教科化する暇があるなら、カリキュラムに刑法の授業でもぶち込んでおけということだ。

 

刑法は、ざっくり言うと刑罰について定めた法律です。その刑罰は何故存在するのかと言えば、

応報(犯罪行為自体への報い)②一般予防(犯罪の抑止)③特別予防(再犯の防止)
の3つです。
①③についてはその役割を果たしていると言うこともできると思いますが、②については甚だ疑問です。

刑法38条3項に、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」と記されています。

「法の不知はこれを許さず」というやつです。*2

刑法に限らず、「法律を知らない」などと言う言い訳が許されてしまったら何の為に法律があるのか分からなくなってしまいます。

しかし、このような規定があるからといって、人々が法律について学ぶわけではありません。(というかこの規定の存在自体知らない人間が大半でしょう)
刑法の存在を知っているだけで多少は自制が働くこともあるでしょうが、個別具体的な内容について教えることで、予防効果は遥かに高まるはずです。

そこで出てくるのが、刑法教育です。

社会秩序を守りたいなら、これは割と有用だと思う。
特に教えるべきなのは、「どこからが犯罪か」「故意の問題の2点です。
前者については、例えば窃盗目的で店舗に侵入した場合、レジに向かって行きかけた瞬間に窃盗の実行に着手した*3ものとされた例があります。「(盗んでも)返せばいいんでしょ」などという主張は論外なのです。
後者については、例えば殺人罪における故意は、「殺してやろう」という所謂故意ではなく、「死んでもいい」という死の認識・認容で足りるとされています。
このように、刑法の規定及び解釈は、必ずしも一般人の感覚と一致するとは限らないのです。

 

ただし、あまり詳しく教えると、抜け道を探そうとする輩も出てくる可能性があります。
例えば、後払いの飲食店で食べ終えてから支払いの意思を無くし、こっそり店を抜け出したとしても、不可罰となります。尤も、当然店側は民事で賠償を請求できますし、始めから狙ってやったら詐欺罪です。
そもそも、詳しく教えられるほど授業時間は確保できないと思いますが。

 

話を戻しますが、授業で「命は大切に」と言われてそうできる人間は最初からそうしていますし、やっていない人間は基本的に何を言われようが変わりません。道徳の授業には何ら拘束性がないからです。本当に変えたいなら、身をもって体感させるしかないのです。

その点、国家権力が背後に控える刑法は違います。
「いじめはいけません!」と言われるより、「いじめたら(下手したら)死刑*4だから」と言われた方が、(特に小学生に対しては)遥かに効果があるでしょう。
「恐怖で人間を制御するのはどうなんだ」というのはもっともな指摘ですが、そこから先は価値観の問題です。

 

因みに、刑法教育の意味は予防効果にとどまらないはずです。
例えば、いじめられている子がいたとします。これまでなら、彼/彼女はだいたい①耐える②親・教師等に助けを求める(③自殺)ぐらいしか選択肢がありませんでした。そこで反撃or対処できる人間は、いじめられたりしないらしいし。

刑法教育がなされれば、何かされたらその場で警察に通報するという選択肢が生まれるわけです。

(刑法教育なんかされなくても選択肢としては存在し得ると思うけど。なお、学校という特質上、警察が来るとは限らない)

さらに、(これは刑事訴訟法ですが)私人逮捕ができます!相手に殴られたら、めでたく暴行罪or傷害罪が成立して現行犯逮捕です。逮捕した後は、直ちに警察に身柄を引き渡しましょう。
そこまでしなくても、それまではせいぜい「先生に言ってやる」程度でしか言い返すことができなかったのが、「お前無期懲役な」とか「絞首台に送ってやる」に進化するのです!
それに対していじめっ子が「今のは脅迫罪だ*5」と言えば、そこからは野蛮ないじめの域を脱し、文明的な法的論争へと発展するはずです!

学年が上がると不作為のいじめ(所謂シカト)も増えるみたいですが、村八分の通告を脅迫と認めた判例があります。つまり、(果たしてそんなものがあるのかはさておき)今後ハブる旨の通告があれば、それで脅迫罪が成立する可能性もゼロではない、ということです。

 

ここからは、暫く刑法とは関係ない話。
しばしばいじめによる自殺がニュースになりますが、よく思うことがあります。
何故、死ぬ前に加害者に復讐しないのか。

復讐というのは、言い返せとかやり返せということではありません。無視されてしまったら、やり返しようもないですし。

(ぼっち至上主義からすれば、周囲の愚民が関わらないでくれるならそれはそれで手間が省けて良いことだと考えられなくもない)
いじめの程度にもよりますが、少なくとも死を選ばねばならないほどのものであるなら、いじめの形態に関わらず相手を◯す気でやる、ということです。

死ぬのは、それからでも遅くないでしょう。

無責任なことを言っているのは百も承知ですし、間違いなく違法行為*6です。
でも、誰かがそうするだけで全国の状況が変わると思う。
基本的には、やり返されないと思っているからいじめるんです。どうせ大したことにはならないと思っている(or結果について考えが至らない)からやるんです。自分が被害者にならないために加担している場合もありますが。

いじめの加害者が復讐をされたとなれば、その話は全国に広まり、他の加害者が立ち止まる一因になりうるでしょう。恐怖は、間違いなく人間を動かすものの一つなので。

こうして、世界は犠牲により前へ進んでいくのだ。

一応書いておきますが、これは抵抗権レベルの最終手段であって、犯罪行為を教唆・幇助するつもりはありません。

 

以上、滅茶苦茶なことを書いてきましたが、特に小学校での刑法教育については、1つ大きな問題があります。

刑法41条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない。

あれ、抑止効果ないじゃん……

この条文を教えなきゃいいのですが、子供がこれを知ると、却って犯罪を助長する可能性もある……

念の為書いておきますが、決してこの条文が悪いと言っているわけではありません。むしろ、子供の人権を守る極めて重要な条文です。 

結局、自ら適切な倫理観を身につけてもらうに越したことはないよね。

 

 

最後に、刑罰について。

現在の日本での刑罰は、死刑・懲役・禁錮・罰金などですが、刑罰にVRを利用できるのではないでしょうか。

具体的には、加害者に、自らの犯した犯罪を被害者の立場から追体験していただきます!これでこそ、本当に被害者の気持ちが分かるというもの。

窃盗みたいに客体が物だと使えませんが、客体が人なら使えます。

現在の技術じゃまだ難しいかもしれませんが、視覚以外の五感や神経への刺激も可能になれば、臨場感はさらにアップ! 五感への刺激ぐらいなら、比較的人道的と言えると思う。

しかし、これにも問題はあります。VR刑罰を体験するために犯罪を犯す人が出てくる可能性が……やっぱり刑罰って難しいね。

 

 

ここまで、自分が加害者になる可能性を排除して書いてきましたが、刑法も刑罰も厳しくすればいいというものではありません。刑法には、人権保障機能もあるからです。「何言ってるんだ?」と思った人は、調べればすぐに見つかると思います。

 

再度書いておきますが、この記事には法的に誤った箇所がある可能性もあります。倫理的には、色々間違っている可能性が高いです。

あくまでも数ある意見の一つ、程度の気持ちで受け止めて(or無視して)ください。

 

次回は(多分)まともな記事を書きます。それでは。

 

*1:文系で計算方法忘れたし数字は適当。まあ、輪軸で直径を調整すれば実現可能なレベルだと思う

*2:法を知らなかったことにより、任意で刑が減軽されることはあります。

*3:それ以降は、実際に物を盗まなくても窃盗未遂罪になるということ。

*4:正確には、少年法があるので18歳未満で死刑になることはない

*5:詳説はしないが、前者については恐らく脅迫罪は成立しない。後者も、多分成立しない。

*6:状況にもよるが、過剰防衛が成立する余地すらなさそう