元 ハイスペック()ぼっちの回顧録

かつてハイスペック()ぼっちを自称していた文系大学生のブログです。「常に観測者でありたい」

このテクノロジー時代に、敢えて文系に進むのは何故か

どうも。

ようやく、数ヶ月前に予告した記事です。

改めてゼロから書くの面倒だなあ~と思いながらメールを漁っていたら、見つけちゃったんですよ!


突然だが「いかにしてLukrezは文転するに至ったのか」を連載する気になった。

 

(Lukrezのメールより。以下すべて元同志Aとのメールから抜粋。特に記載がなければLukrezの文章。)

 

ありがとう、俺!

 

 

まあ、要は言い訳だな。今のうちにまとめておいた方が、後々便利だと思う。絶対にこの選択を振り返る時は来るから。そしてその時に、泥沼に嵌まりたくはない。

 

 

どうやら、当時の僕はかなりの先見の明を有していたようです。とはいえ、まさかブログで晒すために振り返ることになるとは思っていなかったでしょう。
ということで、記事の半分はメールのコピペです。すまぬ。

 

 

さて、皆さんは本庶佑氏を覚えているでしょうか。少し前に話題になった、ノーベル生理学・医学賞を受賞した方です。

テレビでやっていた話によると、進学選択で医者か弁護士か迷った時に、医者の方が多くの命を救えるという理由で医学の道に進んだんだとか。(うろ覚えなので間違ってたらごめんなさい)

確かに、そういう考え方も一理ある。

それに現代は、AIに仕事が奪われると言われている時代ですからね。文系は仕事無いという話もあるし、弁護士も将来AIに代わられるなどと言われているみたいです*1。文系不要説もあるとかないとか。

素人考えだと、「寧ろ手術とかAIにやらせた方がいいんじゃね?!」と思わないこともないですが、とにかくそういう時代です。

 

早速話が逸れて恐縮ですが、本来テクノロジーって楽するために発展してきたんじゃないんですかね

つまり、AIとかロボットって人間の代わりに働かせるために作ってきたんじゃないんですかね。古代ギリシャの奴隷みたいなものです。勿論、それだけではないと思いますよ。でも、もし必要な仕事を全部代わりにやってくれるとしたら、空いた時間で人類は他の活動に勤しむことができるわけで。古代ギリシャではそうやって民主政が育まれたわけですからね。多分。現代で考えれば、学問でも遊びでも睡眠でもやり放題になるはずで、そうしたらみんな幸せになれるんじゃないの?働き過ぎとか言ってるんだからさ。

だから、AIが仕事やってくれるんなら、それは喜ぶべきことなのではないかという気もする。ただ、中途半端に取って代わられるとお金が稼げないって話になりますからね。喜べるのは、随分先のことになりそうです。

 

話を戻しますが、AIに取って代わられるなどと言われると、「それじゃあ何のために法学部に行くのか」という話になるわけです。

ただ、法学部云々の前に、まず文系に進む意味というものを考える必要があるでしょう。

 

今の社会では、「数学ができないから文系」みたいな風潮が強い。だから、理系=有能文系=無能、みたいなイメージが(少なくとも僕の中には)あるんですよね。

当時担任に文転することを話した時*2は、「文系科目は独学で学べるけど理系は無理」ということを言われたりして、そこそこ残念がられた(はずの)ものです。

このブログを読んでいて、「何故ハイスペック()な人間が文系に進んだのか」という疑問を抱いた人もいるでしょう。

因みに、文系に進んだのは断じて数学ができなかったからじゃないぞ!高三の時には行列使ってたし!センター数学は両方満点だったし!今は商の微分公式とかも怪しいけど。

自分でも、「何故文系に進んだのか」と訊かれると、未だにはっきり答えることはできない。

元同志Aにも言われましたが、逃げたという意識も、それに対する後ろめたさもありますから。

自分の中でも、文系であることに対する劣等感みたいなもの*3があることは感じます。こういうのって、当事者が一番気にしてたりするのだが。

そんな劣等感を抱いていた当時のハイスペック()な僕は、「学力が無い文系と教養が無い理系」などと言っていました。

「でも文系も教養無いじゃん」と言われたらその通りですし、そもそも教養とは何か、という話を始めるとそれはそれで長くなってしまうので、ここではなんとなく察していただくとして。

 

 

それでは、本題に入っていきましょう。

まずは、僕のメール。

 

連載だから、思い付く度に書いちゃうぜ!(←順番が逆とか言わないで)
とか言っていたのは良いんだが、結局逃げただけじゃね……
数III面倒だった気持ちが全くなかったとは言えないし。その結果社会で暗記しまくらなきゃいけなくなったのはもう笑い話。
それでもそれっぽい理由を書くと、「遠くの理想より目の前の幸福」っていうこれに尽きるんだな。原点回帰したとも言える。俺の価値観自体が、ここに収束しつつある感じがする。
次回以降ももう少し書きます。

 

 

「結局逃げただけじゃね」

今思えばこれに尽きる気がするのですが、当時自分をごまかすために色々考えました。

以下、しばらく僕と元同志Aのやりとり。

 

 

笑)
それは否めないよ
実際数Ⅲは努力ゲーだから、やらない理由が分からない
暗記はお疲れ
それを言うには君は若すぎるよ
若人には理想を追求する責務がある
収束していいのかい?
極限に発散しようぜ

 

(元同志A)

 

 

収束を「確固たる価値観を持っている」と言い換えると、格好良い感じになる。
いつまでもふらふらしてるわけにもいかんのですよ。
昔に書いた気もするけど、失望も絶望もしたくないというのがある。他人に対しては失望を、自分に対しては絶望を。これも逃げたと言ってしまえばそれまでだけど。
理系に限らず、それなりのレベルのところに行けば、間違いなく周りの人間にもそれ相応のレベルは求める。本人には言わなくても、俺の中ではそういう尺度で測る。これで、周りがアホだらけなんて状況にはなって欲しくない。天才のいない世界なんて、知りたくないんだよ。
勿論、自分に対してもそれなりの基準を課す。でも、絶対に限界に到達する瞬間ってあるじゃん。矛盾しているようだが、あって欲しい。自分が妥協できるレベルまで行けたなら、その時はそれでいいよ。でも、それより遥か下でその瞬間に向き合いたくはない。
結局、俺の満足する状況なんてのはないんだけど、それでも文系に行くことで少しはましになるはずなんだよ。まず、周りに期待はしない。(言い方悪いけど)掃き溜めだから。そして、自分にも多くは求めない。出来る範囲でやれることをやる。「遠くの理想より目の前の幸福」って書いたけど、理系と文系ってそういうことだと思うんだよ。世界を変えるようなことをするのは理系だし、文系はそれこそささやかな幸福を守るだけ。でもそこにも意味があるでしょ?というのが、今の状態なのだ。
どのようなルートを歩もうが、他のルートを体験できるわけじゃないんだから、結局そこで落とし所を見つける(見つけなきゃいけない)のが人生じゃん。

 

何も為さないと決めたわけじゃない。勿論、人生で何かは成し遂げる。それが生きる意味にもなるのだから。どんな規模かってだけ。俺はミクロの世界を変えてみせよう。

 

 

 

確かに
でも「丸く収まった」っていうと凡人感ハンパない
ふらふらしちゃ駄目なのは分かるが、それは丸くなることの理由にならない
俺は尖っていたいからな
他人に対する失望に関しては諦めてる
自分には絶望しないよう足掻いてる
確かに逃げって言ったら終わり
◯◯大学なら天才がいるはず!!
言ってることはわかるよ
以前言ってたことに重なるし
でも、やはり俺は、限界なんていうものは自分がそう思ったときに生じるものだと思っている(人が羽を付けて飛ぶとかは除いてね)
絶対に自分の甘えから生じると思っている
というかそうでなければならない
限界が他者によって示されるなんて屈辱じゃないか?
穿った見方をすれば、他人に「お前はこの程度の人間なんだよ!ここから先は君には永遠に辿り着けないのさ!」とか言われるようなもの
こんなに屈辱的なことはない
そんなことを言われたときには、屈辱に気を狂わせながら、血の滲むような鍛練を積むよ
まあこればっかりは望むものの違い
そして自分で「ここらが俺の限界か…」とか思うとか、そんな自分は殺さなければならない
道を進むときには、そういう甘えによる障害が絶対に生じるんだが、俺はそれに打ち克たなければならないのだよ
成る程ね
別に俺も世界を変えようとしてる訳じゃない
文系でも官僚になれば日本ぐらいなら変えられるぞ
そうだな
何度も言うが、諦めるのはまだ先でなければならない

そうかい
ならば死ぬまでに君の変えたミクロの世界を見せてもらいたいね

 

(元同志A)

 


尖ってなくてもいいから、硬質になりたい。
◯◯大学なら天才がいるってのも、幻想だと思うぞ……
徒競走とかで、どんなに脚動かしても絶対抜けないっていうあの感覚が、限界ってやつだよ。
限界って(それが自然現象とか神であれ)他者の存在があって初めて生まれるものじゃん。
確かに、誰かからそういうことを言われたら腹が立つが。
才能と能力は全ての免罪符になり得る。
無駄な努力を徒労というのだ。

 

マクロを変革できなかったものの辿り着く場所が、ミクロの変革(自己の変革)なのだ。物語において現実性を重視した場合、最も妥当な着地点もここ。

 

 

 

尖れば硬くならない?
脆くなるけど
俺の理想としては柔軟性がありつつも、尖った芯は持ってる感じ
かもな
それは肉体的限界じゃん
それに徒競走に向けて努力してきたことなんて無い
まあ具体例に過ぎないのは分かってるが
他者の存在が限界という概念を産み出したとしても、それは限界を他者に委ねる理由にはならない
度々言うが「諦めたらそこで試合終了だよ」なんだよ
諦めたときが、限界を悟ったときが成長の限界
腹が立つだろ?
そのムカつく存在に自分がなりたいのかって話
無意識下で皆そのような存在に成り下がってるけど、この事に気付けば我々人類はもう一歩高みに近付ける
まあ強烈な意志が必要不可欠なんだが
免罪符に成り得るからこそ、免罪符にしてはならないのだ
無駄かどうかなんて全てが終わった後にしか分からない
下手をしたら死んだ後に評価されるかもしれない
だからこそ、自分で自分を見限ってはならない
最早自分を支えられるのは自分だけなんだから

 

(元同志A)

 

連載などと言いつつ、文転に関するやり取りはこれぐらいです。

この辺りのやりとりは、(当時の)彼の性格が良く出ていて結構好きです。

自分が頑張るのは嫌いだが、頑張っている人を見るのは好きなのだよ。

 

さて、ここに書いてある理由をまとめると

①逃げた

②(自分および周りの人間に)失望したくない

③遠くの理想より目の前の幸福

ということになります。結局、どれも逃げた(諦めた)ってことじゃないか……

 

②の「失望したくない」というのは、中学校入学時の経験があります。中学受験して入ってみたら、クラスメートが予想以上にガキ+凡人だった*4、という経験です。(前も書いたかな?)

これについては、「ぼっち道をゆく 第2回」で詳しく書く予定です。

この世界は(もちろん自分自身も)、見事に期待を裏切ってくれる。僕の期待を裏切らないのは、二次元だけだよ!

結局、大学に入っても「こんなもんか」って感じですからね。なお、自分が斜に構えているだけで、まともに世界を広げようとしていないことは否定しません。

ただ、最近は、そもそも他人に何かを期待すること自体が間違っているのだと思うようにしている。

この考え方は良いですよ。特に、通勤ラッシュ時に割り込んでくる輩とかが気になる人には。その程度の存在だと思ってしまえば、どうということはありません。

 

③については、あくまでも僕のイメージ(であり願望)ですが、少し補足する価値があるでしょう。

「世界を変えるようなこと(=遠くの理想)をするのは理系だし、文系はそれこそささやかな幸福(=目の前の幸福)を守るだけ」と書いていますが、これは冒頭の本庶氏の話とも絡んできます。

医者になって新薬を開発すれば、それで何万、何十万(あるいはもっと)という命が救われる。弁護士になっても、救えるのは目の前の依頼人だけ。確かこういう話だったはずです。まあ、総理大臣にでもなれば話は別ですが。冷静に考えてみたら、偉大な科学者と普通の弁護士じゃきちんとした比較になってないな。

とにかく、理系と文系じゃスケールが違うんです。

僕は人助けがしたいわけではありませんが、理系に進んだならば、70億の命を奪うことになってでも成し遂げたい何かがあります。

恐らくそれができないと分かっているから文系を選んだ、ということになるんでしょうね。当時の彼に言わせれば、そうやって諦めること自体が間違っているんでしょうけれど。

 

因みに、医者と法曹(特に裁判官と弁護士)について話をすれば、これは役割が違うものだと思っている(←当たり前)ので、本庶氏の話のようなことで悩んだりはしていません。

雑な言い方をすると、医者は人命を救いますが、法曹は人権*5を救う*6んです。

人権は前国家的なものだと言われてはいますが、数万年前のような狩猟生活をしているところで人権なるものが観念される余地はないでしょう。そんな社会でも、医者(のようなもの)は必要です。人間の存在自体に関わるものですから。でも、法曹は必要ありません*7。そもそも法なんて無いし。極端なことを言えば、人権なんて無くたって生きていけるんですよ。スポーツ選手とかがたまに言ってますよね。「自分たちは必ずしも必要な存在じゃないからこそ〜」みたいな話。それと似たようなものです。

その上で法曹とは何かと言えば、ある意味この文明社会の守り手なんですよ。というか、そうであってほしい。法って、文明の象徴だと思います。人類の叡智(?)が作り出した法に従事するのが法曹なんです。 

ただ、医者は医学部に行かなきゃなれませんが、法曹は法学部に行かなくてもなれるので、迷ってるなら医学部行った方が良いと思いますけどね。

というわけで、Lukrezは法曹になるということに(無理やり)意味を見出したわけです。

 

「ささやかな幸せ」についても述べておきます。

簡単に言えば、家に帰れば家族がいて、週末には和やかにすごす。それでいいじゃん!ということです。そうやって人の心に触れているのが大事じゃん!ということです。ただこれも、「別に頑張らなくたっていいじゃん」という言い訳になってしまう気がする。

理系でも家庭ぐらい持てるけど、と言われたらその通りです。それに、仮に結婚できたとして(←まずそこから)、そういう生活が実現するのかは甚だ疑問です。でも、とりあえずそういうことです。

「何を言っているんだね、君は」と思った人は、(アニメでいいので)『CLANNADクラナド〜』を観ましょう。『CLANNAD〜AFTER STORY〜』もセット。

 

 

 

相変わらずグダっていますが、そんなこんなで僕は文系に進んだわけです。

結局、文系に進むのは何故かと問われたら、「逃げたから人間らしさを守るためさ!(適当)」ということになるんですかね。

 

最後に、文転した僕の態度を象徴するような当時のメールを見て終わることにしましょう。

 

当然(にして突然)だけど、我々は過渡期にいるんだよね
この事実は何かしら我々に影響を与えてるのかもしれない
過渡期に生まれた変革者みたいなものが我々と同世代にいるかもな
そしてそれは君かもしれない
…唐突だね

 

(元同志A)

という元同志Aのメールに対するものです。

いや、彼にこんなことを言ってもらえるのは本当に有難いことなんですけれどね。

この後、彼の中で僕の評価がどうなったかは知りません。今となっては、心に残ってすらいない可能性がある……可愛い彼女おる(はずだ)し。年賀状送るのやめようかな……

それで、彼の言葉に対する僕の返答がこちら。


残念ながら、そういうのを目指すのはやめたのだよ……

  

 悲しいね。

 

 

(追記) 

振り返ってみたら、テクノロジー全然関係なかった!

*1:ただ実際に法律関係の仕事をしている人間でそういうことを言っている人はあまりいない気もする

*2:元々は理系のクラスにいた

*3:理系コンプレックスとでも呼ぶべきですかね。

*4:これは、あくまでも当時の僕の一方的な評価です。そして、そのクラスメートの中に後の同志Aもいました。

*5:生命自体も人権の一部だと言うことができますが、ここで言う人権の内容については察してください

*6:裁判所などにより人権が侵されてきた歴史もありますが、それはひとまずおいておいて

*7:もちろん仲裁者とか仕切り役みたいなのはいたはず